1748年(寛延元年) 釜屋 創業
近江商人であった釜屋新八が、中山道の宿場町のあった現在の地(加須市騎西)で酒造業を始めました。当時の埼玉県は関東平野の穀倉地帯で良質な米を生産していたこと、利根川の水系が酒造りに必要な上質な水を供給していたこと、さらには当時の最大の消費地「江戸」が近くに控えていたことからこの地で酒造りを始めました。
1750年(寛延3年) 2代目 小森久左衛門が基礎を築く
1750年、初代創業者「釜屋新八」が志半ばで亡くなってしました。
創業からわずか2年後のことでした。
初代「釜屋新八」の兄であった「小森久左衛門」はひどく落胆し、騎西町に急行して店舗の整理を始め、弟が立派に店を築きあげていたのに感動し、弟の思いを継ぐ決心をする。そして二代目 久左衛門が誕生しました。
1785年(天明5年) 酒銘を「力士」と命名
こちらの「力士」の由来は2代目久左衛門が愛した漢詩「襄陽歌」より抜粋したとされています。また、当社のメイン商品「力士 金撰 本醸造」のラベルデザインもこちらの詩中に出てくる「鵜の首形の杓」、「おうむ貝の盃」、「葡萄酒のもろみ」、「亀の頭」をデザインに落とし込んだこだわりのラベルとなっております。
1834年(天保5年) 店舗全焼の災難
全町のほとんどを焼失する大火災が発生し、釜屋も酒造庫1棟を残し、一切を焼失してしまいました。しかし、4代目久左衛門が復興に力を尽くしたかいあって、代官所から復興資金として御用達金300両を下げ渡され、その資金を元に事業復興を遂げました。
1886年(明治19年) 貯酒庫建(飢饉による難民救済)
大飢饉により発生した多くの難民を救済するため、貯酒庫の建築を実施。当時の人は「釜屋のお助け普請」と呼んで感謝したと伝えられており、総欅造りの貯酒庫は現在も酒の貯蔵庫として使用しております。
1917年(大正6年) 合名会社小森商店発足
当時の酒造家はほとんどが伝統的な個人経営を守り通すという風潮であったが、7代目小森久左衛門はいち早く合名会社として名乗りを上げました。
1925年(大正14年) 宮内省納品と品評会受賞
大正9年に株式の大暴落、米価の下落などが重なり酒造業界全体が落ち込みました。弊社もその煽りを受け、業績は落ち込み、更には大正12年の大震災でも設備に被害がありすこぶる不振となってました。そんな苦境の淵に沈んでいたとき、清酒「力士」が宮内省納品の光栄に浴すことになる。さらに昭和2年には全国酒類品評会にて一等賞を受賞。度重なる吉報に社内一同は奮起し、この不況を乗り切りました。
1949年(昭和24年) 株式会社 釜屋設立
戦争が終結し、かつては3000石の製造実績があったが終戦直後には480石余りに。経営上の困難を解決するために「株式会社 釜屋」の設立。新設備の導入・改善などを図り、2年半後に軌道にのり始める。